夜雨のブログ

呟きみたいな日々

Twitterてなんで使い始めたっけ

 私は普段日記はつけない。つけていた時期もあったが、どこかに記憶と、付随した感情を書き記しておかないと自分が消えていきそうだから書いていただけだった。それは二、三年前だった気もするし、一ヶ月くらい前だったかもしれない。

 Twitterは、喋る程でも日記に書き記す程でもない記憶や感情を吐き出すのに適したツールだと思う。でも、いつのまにかTwitterという媒体に思考が慣れて、感じたことや見たものを短い文章で表そうとする癖がついてしまう。その時の心の動きはどれだけ文字を用いても足らず、小さな箱に収めておける大きさでもない筈なのに無理やり収めてしまう。圧殺された感情の血が箱から漏れ出てる気がする。殺人犯ならぬ殺情犯だ。

「私たち大量殺情犯ですね」とか言ったら何を言ってるんだコイツは?みたいな目で見られるのであろう。世間は多分そう。Twitterで自分と思考が似通っている気がする人ばかりフォロー欄に集めたから、自分の思考や感じ方は間違ってない気がしてるだけ。思考や感じ方に正解も間違いもないのだけど。